自然って感情みたい

映画を見て以来、意識している

一年くらい前から、空を見上げることがあります。ある映画がきっかけ。それは「天気の子」です。この映画にはさまざまな空のシーンが詳細に描かれていてまるで、アニメなのに本物みたいにリアル感です。もちろん映画自体も面白く、感動がある映画でしたが、個人的には、空の風景が印象的でした。

それ以来、空を見たげることが多くなりました。見上げて大きな雲を発見すると妙に嬉しくて、雨が降っていたら映画のシーンを思い出して嬉しくなります。アニメの中で描かれている天気を現実の世界で探している始末。どっぷり天気にはまってしまいました。それが今も続いています。

『天気ってなんて不思議なのだろうと、僕は思う。ただの空模様に、人間はこんなにも気持ちを動かされてしまう。陽菜さんに、心を、動かされてしまう。

映画『天気の子』より

この頃、よく見ることができるものは

そしたらラッキーなことに、がみれる時があります。それが一度や二度ではなく、数えきれないくらい。「え、こんなにって見れるの」って今から思えば自分でもびっくりするくらい。

虹って見れるとなんか嬉しくなりませんか?得した気分になったり、今日はいい事ありそうって感じたり。気分が高まり、そして見れたことに感謝します。

意識して見上げてごらん

天気は、私たちの心と同じように移ろい変わっていくのです。

さぁ、みなさんも空を見上げてごらん。晴れの日も曇りの日も雨の日もぽかぽか陽気の日も嵐の日も、いろんな表情を空は見せてくれます。虹が見れたり、龍の形をした雲をみつけたり。新たな発見をすることでしょう。

天気も部屋の窓から見る分には平気でしょ。心も部屋から見てみるです。そしたら新しい自分との発見があるかもしれません。

天気も心もずっと穏やかではいてくれません。そう願いますが、雨の日もあるから晴れの日もあります。これって自然な事でしょ。私たちも自然の一部だから。嫌な気持ちもあれば、良い気持ちもある。

だから、いちいち反応して行動に移すことなく自然の一部なんだって認めてあげればいいだけです。

そして、虹に出会えたらラッキーだと思えばよいのです。

それって素敵な事(^^♪

太陽の光と雲ひとつない空があって、それを眺めていられるかぎり、どうして悲しくなれるというの?

As long as this exists, this sunshine and this cloudless sky, and as long as I can enjoy it, how can I be sad?

アンネ・フランク(「アンネの日記」著者、ユダヤ系ドイツ人少女 / 1929~1945)より引用

恐れと不安をどうすれば無くなる

不安や恐れをなくすことはできない。

しょっぱなから残念なお知らせがあります。不安や恐れはなくすことができないのです。これは紛れもない真実。そしていい事をおしえましょうか?誰もが不安や恐れを感じます。誰でもです。

私たちが不安や恐れを感じるのは精神的に問題があるのではなく、弱いからでもありません。それは、私たちは人間だからです。

誰もが経験する恐れと不安

生きていたら、恐れと不安はつきもの。それとは反対の安らぎ、平安、幸せ、愛です。私は人に、「なんのために生きているの」って聞かれたら間違いなくこう答えます。「幸せのために生きています」って。なので、私がもっとも避けたく、遭遇したくないのが恐れと不安なのです。

私は恐れを持っています。何かが足りないと思い、満足するのではなく、心が乾いている状態に陥る場合があります。最もよくある二つの恐れは、①自分には何かが足りないという恐れ、②嫌われるのではないかという恐れ。両方とも持ってる?おめでとう。あなたも仲間です。

我々が抱く恐れに値する怪物はほとんど存在しない。

アンドレ・ジッド(フランスの小説家) Wikipedia

だから排除するのではなく受け入れる

私たちは恐れと不安、別な愛称では、心配・ストレス・パニック・あがり症などは、排除するもしくは存在を消したいと思うことが当然です。私たちが犯す最も大きな誤りは、不安や恐れから逃げることです。敵だと思うことです。それは、間違いです。

恐れとは進化の過程で獲得した反応です。不安とはありもしないデタラメを脳が作り出している非現実的な世界です。だから、恐れや不安に耳を傾けよう。教えてくれることを聞き入れよう。たとえ居心地が悪くても、不安や恐れを受け止めて行動に移しましょう。大事なのでもう一度言います。

行動に移しましょう。不安や恐れはベルを鳴らしているのです。導きを与えてくれています。

恐れと不安はあなたを見守ってくれている

恐れと不安が出てきたとき、それは行動しなさいよという合図。ずっと彼らから隠れて、みないふりをしていると不安や恐れは大きくなって私たちを襲うことでしょう。私たちに信号を送ってくれます。行動するようにと。

経済的に不安があるから、働くという選択を教えてくれます。このままじゃテストに受からないと心配になるから、一生懸命勉強します。恐れと不安は友達で、仲間です。そしていつも私たちを見守ってくれている。

そう考えて行動できること

それって素敵な事(^^♪

人生での経験とはそれをバネにして成長するための教訓なの。だから、ほんとうにひどい出来事なんてないわ。

Nothing is really bad; all of life’s experiences are lessons from which to grow.

スザンヌ・サマーズ(米国の女優、作家 / 1946~) より引用

毎日やるだけ。それだけで幸せになる

今日も「ありがとう」って誰かに言えましたか

毎日生活していると、ルーティン化していき、毎日の奇跡が当たり前のようになってくる。人間は良くも悪くも慣れてきてしまうのです。暑い日、会社の食堂に行くと誰かが先に電気とクーラーをつけていてくれている。ここに食べに来た人が不快にならないようにという配慮からです。今では当たり前になってしまいましたが、そっと心の中で感謝する。いつも涼しい部屋にしてくれてありがとう。そう唱えるとなぜだか、幸せになってくる。そしてなんて幸せなところで食事ができるんだろうと自然に思えるようになる。

「ありがたい」と言葉の最後につけてみる

今日もご飯が食べれる。こうしてパソコンでYouTubeが観れる。車で好きな音楽聞きながら通勤できる。雨が降ってきたけど、家の中に居れて濡れずにすんじゃった。すべての行動や起こるすべての出来事は人によって反応が違う。だったら、いっそうのことすべてに感謝しよう。愚痴や弱音さえもそのままの言葉で語尾だけ「ありがたい」をつけて、ネガティブな気持ちをも感謝しよう。この言葉をつけるだけでプラス思考になるから不思議。

  • 「疲れたな」→「疲れたな。ありがたい」(充実しているかも)
  • 「ダメかもしれない」→「ダメかもしれない。ありがたい」(ダメでもともと、チャレンジできた)
  • 「バカ野郎」→「バカ野郎でもありがたい」(バカでもこうして生きている)

「ありがとう」を他人にもおすそ分け

ここにある真実があります。この「ありがたい」や感謝を普段からしていると、人にも親切にしたくなる。その親切をするとさらに幸せが訪れるのです。ただし、ずるがしこい人たちには親切にする必要はありません。そこまで親切にすると心のバランスを崩してしまう。そしてもう一つ大事なことは身近な人から親切にという順番です。この真実はカインドフルネスというものです。

それってとっても素敵なことです(^^♪

幸福は香水のごときものである。人に振りかけると自分にも必ずかかる。

Happiness is a perfume you cannot pour on others without getting a few drops on yourself.

エマーソン(米国の思想家、哲学者、作家、詩人 / 1803~1882) Wikipedia

お金が出ていくのに感謝するのか

月末近くになると楽しみなのが給料日。働いた対価としてお給料をいただきます。給与明細の金額はいつもあまり変わらない(ノーインセンティブ)が、もらって安心する。しかし、もらって束の間、ほとんどが支払いに出ていく。家賃や携帯代、カード払いが主な出費。そのほか暮らしているだけでかかる水道光熱費だ。気が付けば寂しい懐になっていることも多い。

以前は、給料が少ないことに愚痴をいい、お金を払うことを避けようとしていた。差し引かれる金額に恐れ、この先の暮らしに不安を覚えていた。もう貧乏いやだ、もっといっぱいお金があったら・・・と考えていた。ところが、今は違う。それはある真実がきっかけです。それまでの私は、幸せでなかったし、将来のお金のことを考え常に不安に駆られていた。このいつも持っていた気持ちが現実社会に影響を与えていたということを知りました。

気分は感情に影響し、感情がこの現実の世界に影響するという真実を知ってからは以前の考えは捨てることにしました。かわりにどう考えるか

「今月も私のところにお金がきてくれて、ありがとう。そして、私の幸せのためにここと良い暮らしのために、その対価としてお金をお支払いします。ありがとう。おかげで今月はとっても幸せでした。また来月も私のためにお願いします。幸せになりますように。そして感謝します」と

お金が支払いのために減っていると考えていました。しかし、お金を支払うということは何か別のものを受け取っているということ。私は何も失っていないことに気づいたからです。そう、私は何も失っていないのです。それどころか感謝しなければならないことに気づいたのです。

そう考えると、私が働いたのは、そのサービスを受けた人の幸せのため。誰かに幸せを私は提供して、その対価としてお金をいただいているのです。純粋に相手のために私が得意とすることでお役に立てて、感謝の印としてお金をいただく。

とっても素敵なことです(^^♪

「お金に関わる問題について安らかな心境になれない限りは、どれほど財産があっても本当の繁栄は望めません」

ホセ・シルバ:アメリカの心理学者

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競争して何になるの?

楽天主義平和主義者とは私のことです。ここでは、平和主義について聞いてほしい。なぜかというと、争うことにまったく興味がないからだ。争うこと競争することでなんの役に立つのかまったく理解できないからです。しかし、現在の社会で生きていたら、競争に巻き込まれる。いや、巻き込まれない方がめずらしい。学校では、勉強が誰よりもできるかどうかで判断され、テストの点数を競い合います。そのテストの点数で人生が決まってしまう場合がある。もう、小学生のころから競争の世界に嫌顔でも入っている。社会人になれば、売上を各店舗で競い合ったり、ライバル会社に上回るためあの手この手のサービスを考え出す。私から言うと、人と競争ばかりしていると疲れない?私たちは、競争の世界から抜け出せないの

でも、競争することでモチベーションが上がり、物事に取り組む集中力が増す人もいる。経済にとっては、競争は富をもたらすとされています。以下省きますが、私たちが住む日本は資本主義経済を採用していることで競争を生み出しています。経済活動をする会社は、やはり、競争しなければならない。

競争自体が悪いと言っているのではない。でも、言いたい。無用なラットレースがあることを。誰かが仕掛ける競争があることを。人に競争させて優劣を決めたがる人がいることを。ずるがしこい人たちがルールを決めて、その中で競争させられていることを。

五味さんはこんなことを書かれています。「ただ競争がつまらないのは、自分にとって必要もない競争を周囲から強いられるからであって、なんの目的のため競争をしているのか、ちっともわからないというような場合です。勝っても負けてもなんの意味も価値も、それこそ進歩もないという競争です。競争に勝つことだけに意味があり、負ければただがっかりするというような競争、競争のための競争です。

私は転職した会社(数多く)に馴染めないのは、もしかするとこの理由かも。営業職をしている人なら誰しも感じるでしょう。壁に貼られた契約件数を競うグラフを見て目をキラキラさせているのは、競い合っている本人ではないことを。

純粋にお客様のために喜んでいただきたいという思いが、契約件数に比例しないことを知ってほしい。学校で興味のあることを追求しても、テストの点数が上がらないことを知ってほしい。

だから無用なラットレースには参加しないことです。もちろん全責任は自分がとるつもりで。でもそれって自由でしょ。誰かが決めたゲームに参加するのではなく、最大の勝利は戦わずして勝つことです。勝つか負けるかはあなた自身が決めるのです。あなたの人生はあなたが決めるのです。

とっても素敵なことです(^^♪

決して人が求める理想を求めません。

人が笑ってほしい時に笑いません。

自分が笑いたいから笑います。

イチロー

私たちは感情の奴隷

日々、忙しくしていると起きた事象についつい反応し、心も体も疲弊していることがある。特に毎日仕事をしている人や、ストレスの多い事をこなしている人にとっては。

毎日、家にいても心に起きるさまざまな妄想によって心が反応し、あれこれいらないことを考えてしまう。私たちは、感情を持っていますが、その感情により、ありもしないことを想像し、現実としてとらえる傾向にあります。以前、『反応しない練習』草薙 龍瞬【著】では妄想こそが人間が最も得意で、大好きで、ほぼ一日中絶え間なく繰り広げられるナンバーワンの煩悩と言っています。この感情という妄想に振り回されている状態は、自分本位ではなく奴隷になっている状態。一刻もはやくこの奴隷の状態から自分を解放し、コントロールする状態にもっていきたいです。

そこで役に立つのが瞑想

瞑想は心身ともにリラックスするばかりか、自分自身を取り戻すことができます。日々の忙しく移り変わる感情や心の変化から離れ、俯瞰的に自分自身を観察する機会を与えてくれます。この出来事で自分は、こんな感情になったんだなと確認するだけで良いそうです。そう、確認するだけ。ここで評価してはなりません。これがいけなかった、駄目だったとか良かったとか。そして、また呼吸に意識を集中し瞑想します。

瞑想という特別な時間は自分を取り戻すばかりか、心の洗浄をしてくれ、煩わしい感情で反応する脳へもリラックスさせる効果があるそうです。ありとあらゆる思いが次々に浮かんでは消え去っていきます。やがてあなたは何も考えず、何も期待せず、何も望まなくなります。瞑想をすることで自我にとらわれた感情から解き放たれ何者でもない、何の期待もしない自分になることができるのです。良いやり方間違ったやり方は存在しません。ただただ、今を取り戻すのです。今を。

感情に支配されるのではなく、自分自身をコントロールするために瞑想を取り入れよう!!

とっても素敵なことです(^^♪

再新再生(活性化)を図る最大の方法の一つは、毎日「瞑想と思索の時間」をとることである


ジェームス・スキナーより引用

欲と直感って一緒じゃないの?

欲というものは、時に判断を鈍らせ思いもよらない結果を招くことがある。

今日、夕方のお腹の空く18時ごろ、ショッピングモールでうどん屋さんを見つけてしまった。ちょうど前を通るとダシの良い香りが胃を刺激し、口の中唾液があふれて思わず立ち止まって見てしまった私。写真を見るとおいしそうなうどんが並んでいます。居てもたってもいられなくなり、うどん屋さんの列に並んでしまいました。このダシの効いたうどんを食べるときっと、食欲も満たされて満足いくだろうと。あなたにもそんな経験ありませんか、思わずに駆られてそれを満たそうと買ってしまうこと。

でも、結果は違いました。満足という結果ではなく、気持ち悪いという思いもよらない逆の結果になりました。もう少し詳しく言うと、うどんと一緒に大きなかき揚げを注文してしまったのです。その大きなかき揚げは大量の油を吸っていました。それも食べた結果、満足というより胃のむかつきにより気持ち悪いが来てしまいました。食べる前はうどんもかき揚げもおいしそうで食欲をそそられたはずが・・・・。どこでいけなかったの?

ただ欲という現象に体が反応し、その体を満たしてあげただけなのに。体の声を聴いて素直に満たしてあげたのに、なぜ?もしかして、欲によって引き起こされた体の声は聴いてはいけないの?

   欲求→体の反応→満たす→満足   ではなく

   欲求→体の反応→満たす→不満 になってしまった

いや、そうではありません。今の体の状態は、気持ち悪いけど、たしかにお腹はいっぱいになり欲求は満足しました。ただ、衝動的にプラスアルファの欲求をしてしまっただけなのです。最初、うどんを食べようと列に並んだだけなのに、衝動的においしそうだからという理由でかき揚げを買って食べてしまったことに原因があります。最初は、かき揚げを食べようなんて考えていません。かき揚げでお腹を満たすぞなんて考えてませんでした。何も考えてなかったのです。レジ前に並んだ揚げ物の中からかき揚げを衝動的に選んだだけ。つまり、結果を考えず、自分がどうなるのかを考えずに食べてしまったのが原因です。

その買い物は、私に何をもたらせてくれるの?今、必要なもの?という自分への問いかけをしてみる事が必要。ただし、とっさの言い訳を差し挟まずに(今だけ10%OFFとか、きれいに見えるとか、おいしそうだとか)。本当に今必要なのかと問い、それを選択した結果、自分がどうなるかほんのちょっと想像するだけで良いのです。体の反応したら即行動ではなく、想像力を働かせて、自分自身の心の声を聴いてみるだけなのです。

  欲求→体の反応→満たす  ではなく

欲求→体の反応→結果を想像して声を聴く→満たす  ですね

自分で選んだというより、流されて衝動買いしてしまった、自分自身への後悔と、衝動と直感の違いを教えてくれたかき揚げに感謝します。

とっても素敵なことです(^^♪

今の欲で選んだものが衝動で、未来の自分への欲で選んだものが直感

hisatoto.mより引用