たかが3円、されど3円の大切さ

今まであったものが無くなると急に不便を感じるのも事実だ。レジ袋もその一つ。2020年7月1日から一斉にスタートしたレジ袋有料化。お店ではマイバックの持参を促しプラスチックゴミを減らすのが目的で始まったのですが、そのレジ袋は何かとわが家では重宝していました。

家にあるゴミ箱にかぶせておくと、捨てるとき袋を取り出せばポイっと捨てれる。特に車のゴミ箱にかぶせば、すぐに取り出せ捨てれます。お弁当を買って車でお昼を済ませる僕は、お弁当の容器を捨てるのもレジ袋です。また、台所で出た生ごみを封印するにも役立ちます。特に生魚の身や骨を捨て、臭い臭いを遮断するのと水気を出さないために袋を二重にして使っていました。気づかなかったが、以前はどこの家庭にもあたりまえにあって、折りたたんで使っていたレジ袋は結構、実用的なものであった。

しかし、お店でもレジ袋は買えるが、今まで無料でもらっていたものをわざわざ買おうと思わない。なので、レジ袋はわが家庭から姿を消そうとしています。そのため、無くなって気づくことだが、レジ袋がないことに不便を感じるようになりました。買出しに出かけた際、何件もお店に寄ります。その時マイバックは一枚しか持参しておらず、二軒目の店で買い物をするとき、否応なくレジ袋を買わないといけなくなってしまうのです。

そんなときに起こった出来事があります。

買い物をはしごしていた僕は、晩御飯のお弁当を買うために、スーパーに立ち寄った。コンビニではなくスーパーに行くのは、多少値段が安いことと、夕方は値切り品があるためだ。その日は近くに駐車場がなく、すこし歩いて車を停めた。そして、お弁当、お茶、カップラーメン一つ、ツナ2缶、お味噌汁の素を買いました。レジに並びお会計をする際、店員さんは「レジ袋は購入しますか?」と聞かれて気づいたのです。マイバックは只今、他の品物を入れているため出張中。レジ近くの表示を見ると、”レジ袋3円・5円・7円”と小・中・大と金額がちがう。どうしようかと一瞬考えた。が、この買い物の量なら手で持てると判断。「いらないです」と答えてしまいました。いざ、買い物を済ませ、荷物を積み木のように縦に組み立て、両手で胸に抱えてました。バランスを保ちながら車の往来を避け、少し離れた駐車場まで行くのが必至でした。ここで問題発生。鍵を取り出すのに片手で荷物のバランスを保たなければなりません。僕は顔のあごを荷物の上で支えながらカギを取り出し車を開けることに成功。後部座席に荷物を置こうとした瞬間、バランスを崩した荷物を一挙に後部座席になだれ落ちました。そして、その一部が車から落ちてしまいました。それが、なんとお弁当だったのです。簡易的にテープで止められていた大切な夜御飯が無残にもアスファルト落ち、ご飯、おかずともども四方八方にばらけてしまったのです。「オーマイガー!!なんてこった」。時すでに遅し。

レジ袋もなかった僕は茫然とあたりを見渡し、仕方なくスーパーにもどりレジ袋を買うはめになったのです。レジ袋有料化に伴う生活の弊害だろうか。これほどレジ袋のありがたさを知った日はなかった。たかが3円のレジ袋をケチった自分のセコさを感じたのでした。

「物を大切にする」と100回言われるより、失ってわかる大切なもの

ヒサトウの言葉

「今を生きる」とある変化が訪れる

先日、女優の竹内裕子さん(40)がなくなられました。死因は自殺ではないかということです。僕はこの死に無関心ではいられなかったのです。死因が気になったからです。彼女のファンでもなければ、知り合いでもありません。知ってることと言えば朝の連ドラの「あすか」に出演していたことくらい。年齢も僕と近く、親近感のある女優でした。そんな彼女が自殺だなんて思いもよりませんでした。このところ、芸能人の自殺が相次いでいる。記憶に新しいので言えば、三浦春馬さん(享年30)、藤木孝さん(享年80)。

芸能界にうとい僕にとって一番身近に感じる彼女の死は、「命」について考えるきっかけになりました。「命」について若輩者の僕が語るにふさわしいかどうかわからないが、今回の事件をきっかけに考え、ある真実と思いを書き綴りました。

ある事実

人間は、100%死にます(あたりまえのことだけど)。しかし、この、あまりにもあたりまえの真実を普段意識して暮らしていません。僕もそうです。歯を磨きながら、死ぬことなんて考えませんよね。しかし、考えても考えなくても確実に生命の終わりに向かって生きています。私たちは人生という列車に乗って旅をしているかのようです。運命という進路に進みながら走っていて、いつ自分が降りる停車駅に着くかどうかわかりません。「お客様、次の停車駅が降りる駅です」って誰も言ってくれないのです。突然、停車駅に止まり降りる順番がやってくるのです。

しかし、自分で命を絶つというのは、自分の降りる停車駅についてないにもかかわらず、列車から降りることを意味します。

だれだって、長く生きていれば、停車駅を待たずに降りたいと思うことがあるのではないでしょうか?

この考えを回避する方法が2つあります。

①今を生きる

人は誰しもいつかは死にます。自分が降りる停車駅に着くかどうかわからないのであれば、僕はいつ停車駅に着くかなんて考えなくて良いと思います。断っておきますが、命の大切さについて考えるなということではありません。停車駅を考えて、将来を憂うよりも、「今を生きること」に集中することの方が大切だと気づいたからです。

停車駅に着く前に、僕たちはやらなければならないことがあります。未来を見ることでもなければ、過去を顧みることでもない。今を生きるということです。今、目の前に起こっている現実に注意を払い全力で取り組む。「心を込める」という事です。

ふいにあなたの心は違うことを考えようと自動思考を始めますが、負けないでください。何か取り組んでいることがあれば心を込めてやってみる、また、テレビを見ているのであれば他ごとを考えずに心から観賞する。誰かの事を想っているのなら、心をこめてその人の幸せを祈る。とてもシンプルです。

しかし、なかなかできません。僕も、ついついスマホを見ながらテレビをみたり、うわ言で返事をしてしまいます。食事も心を込めて味わうのではなく、時間に追われて飲み込むように食べてしまいます。でも、そんな時「心を込めよう」と気を取り直して、また今を生きるようにする。その繰り返しでいいと思います。何度も行ったり来たり心を通わすと、そのうち、「心を込めれる」ようになります。

旅の目的は目的地に着くことでありません。旅路の瞬間瞬間をいきること。心を込めて味わうことではないでしょうか?

おかげさま

「心を込める」と少しずつ自分の中に変化が訪れます。実際、僕がそうでした。「今」に集中して物事に「心を込めて」取り組むと、ふとした時考えるのは、以前頭に浮かでくる事とは違いました。以前は、将来のお金の心配や過去に失敗したこと、あの人に言われた一言が腹が立つということでした。しかし、いま、ふと考えることは、「おかげさま」という考えです。少し長いが次の詩集を読んでほしい。

夏が来ると「冬がいい」と言う
冬が来ると「夏がいい」と言う
太ると「痩せたい」と言い
痩せると「太りたい」と言う
忙しいと「暇になりたい」と言い
暇になると「忙しい方がいい」と言う

自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い
自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる
金を持てば 古びた女房が邪魔になる
所帯を持てば 親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが
上を見て不平不満の明け暮れ
隣を見て愚痴ばかり

どうして自分を見つめないのか
静かに考えてみるがよい
一体自分とは何なのか

親のおかげ
先生のおかげ
世間様のおかげの固まりが自分ではないか
つまらぬ自我妄執を捨てて
得手勝手を慎んだら
世の中はきっと明るくなるだろう

「俺が」、「俺が」を捨てて
「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい

上所重助の「おかげさま」より引用

以前の僕は、”自分の”未来について憂い、”自分の”過去について後悔していました。つまらぬ自我妄執に囚われ、悲劇の中心人物と見ることしか考えられず、 物事を客観的・大局的・合理的に見られなくなっている状況でした。しかし、「今を生きる」ことを意識して心を込めるようになると、「おかげさま」という気持ちがひしひしと湧いてきたのです。とても不思議です。物事も余裕をもって見ることができ、違う視点からも見ることがでるようになりました。こうして、「おかげさま」という感謝が生まれたのです。

そして、感謝が生まれると、自分と同じように人を大切にしようと思うのです。前には話さなかった人ともつながりを持ちたいという思いが芽生えてくるはずです。

②人とつながる

一人で悩んだりするとロクなことを考えません。マイナス思考にまっしぐら。悩みがどうしても頭から離れないというのであれば、信頼する人に話してみることです。できれば、デジタルな方法ではなくアナログな方法で。つまり、直接会って話すのが一番良いです。その人に「おかげさま」な気持ちを伝えましょう。どんなに自分が助けてもらっているか伝えてください。

それから、自分の悩みを聞いてもらってください。きっとあなたを助けてくれるでしょう。

大事なのは、昔のように人と人とが声を掛け合って、 コミュニケーションを取ること

映画『サマーウォーズ』より引用

話してみると、気が楽になります。僕の場合は母親でした。大変な時は助け合いです。結局、人生には支えてもらわなければならない時があるのです。

命の尊さ

今を生きることと誰かに相談すること。そこには、「心を込めて」物事に集中する事や「おかげさま」と思える生き方について書きました。少しでも、誰かの助けになるように願っています。そして、誰かの助けになるように一緒に考えたいと強く思います。僕で良ければ話を聞かせてください。

諦めなさんな。諦めないことが肝心だよ。これは、あんたにしかできないことなんだ。あんたなら、できる!できるって!

映画『サマーウォーズ』より引用

【相談窓口】 ■日本いのちの電話連盟  ●ナビダイヤル 0570・783・556   午前10:00~午後10:00  ●フリーダイヤル 0120・783・556   毎日:午後4:00~午後9:00   毎月10日:午前8:00~翌日午前8:00 

違反に感謝

衝撃的なニュースがはしった。先日、元アイドルグループのひとりが現行犯で逮捕された。道交法違反(酒気帯び運転)の現行犯だった。このニュースを見て、僕は、肝を冷やしました。車を運転しているひとりの運転者で、無関係ではいられなかったからです。

運転免許を所有する人の多くは、道路交通法違反でキップを切られた経験があるのではないでしょうか?その証拠に僕が運転免許の更新に行った際、ゴールド免許(いわゆる無事故無違反)の人は全体の3割程度しかいない。免許を取得して20年がたとうとしていますが、僕は事故2回、違反3回という残念な経験をしている。

違反についていえば、一回目は進入禁止の違反です。会社の行く道ですが、いつも通っていたので、なんの疑問もなく侵入したところ警察の方に声をかけられました。「しまった!」っと思いましたが、時すでに遅し。警察の方に丁寧に説明を受けて、進入禁止マークがあることを教えてくださいました。僕も、知ってはいたが、会社へのショートカットができることや信号待ちをせずに行くことができるのでよく使っていた道でした。それからというもの、その道は使わなくなりました。キップをきられた嫌な事を思い出すからです。

二回目の違反は、駐停車禁止の場所で駐車してお店に入って出てきたところ駐車禁止違反のステッカーがフロントガラスに貼られていました。いわゆる駐禁です。「やっちゃったーっ」どんな時も、後悔先立たず。違反のステッカーを見ながら、自分自身に”バカヤロー”と何度も責めてしまいました。その日は気分がどん底。その道を通るたびに駐禁で罰金を払ったことを思い出すのでした。

どの違反も忘れることができないことです。しかし、三回目の違反はちょっと特別でした。

週末、会社が休みだった日。子供二人を乗せて近くの本屋さんに向かおうとしていました。近所なので慣れた道でした。田園風景が広がる見通しの良い道で僕の好きな道でもあります。息子も慣れた道なはずです。なぜなら彼の通学路だったからです。その慣れた道で一旦停無視をしてしまったのです。別に急いでいたわけではありませんが、他に理由があったのです。その理由を知れば違反したときの心理状態がお判りいただけるのではないかと思います。

本屋に行くことになったのは、息子の勉強する本を買いに行くことになったからです。僕は、ゲームにばかり夢中で全く勉強に身が入らない息子を見て将来が心配になりました。ちょうど、前日に会社帰りに本屋に立ち寄り、ちょうど良い本を見つけ、息子に読ませたいと思ったからです。本をその場で買っても良かったのですが、馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできないように、本人にその気がないのに本を与えてもしょうがないと思い、買わずに帰ったのでした。それもあってか、息子に説得するかのように勉強の話題をして、欲しいかどうか尋ねたところ、欲しいと言うので本屋に連れて行くことにしました。本屋に連れ出すところまでは成功したものの内心は歯がゆいものを感じていたのです。私の説得にも「うん」としか答えず、分かっているのか分かっていないのかの返事を繰り返すだけ。まるで自分事ではないといった顔をしていたからです。今思えば何度も同じ話をしていたように思います。「将来はどうするのだとか」、「今やらないと間に合わない」とか・・・。焦っていたのは息子の方ではなく私の方だったのです。そんな気持ちで運転していたものですから前方を見ているようで見ていなかったのかもしれません。本屋に行く道中、通学路を車で走ると同じ中学の子たちが部活の帰りで日焼けした活発な感じを受けました。それに比べうちの子は、家でゲームをし休日は外出もせず、青白く、いかにも不健康そうに見えました。その様子を見ていて、余計に悲観していたのかもしれません。

学校を過ぎ、静かな田園風景を走って国道に差し掛かる道の手前に一旦停止表示がありました。道路にも”とまれ”いった白線が引いてあったのを僕も知っていましたが、その日はそれに気づかなかったのです。良く晴れた日でした。その交差点を左折しようとスピードを緩めて素早く左右を確認。車が来てないことを確認した僕は左折して、そして車を走らせました。珍しく白バイが後ろを走っています。子供たちにも、「あ、白バイ。珍しいな」って言ってバックミラーを見ながら親指で後ろを指さしました。こんなところ走るんやねって冗談を言った途端。

「ウ~!!」とサイレンが鳴った。

えっ、と思いバックミラーを再度確認したら、警察官は指さし道路に停車するようジェスチャーを出している。「えええええっ。おれか?」すぐに路肩に車を止めました。白バイもバイクを止めて降りてきた警官が僕の車まで来ました。

「運転手さん、どこか急いで行かれるんですか?」

「いえ、今から本屋に行くところです」

「あそこに一旦停止があるのご存じですか?」

「ええ、知っています」

「運転手さん、あそこの一旦停止で止まりましたか?」

「・・・はい。止まったと思います」と弱々しい返事をしてしまいました。

急に警官が来たものですから、心臓がバクバク緊張が走ります。

サングラスを取ったその警官は、なんと女性でした。黒く日焼けした顔が印象的な方でした。その女性警官は教えてくれました。先日、隣町で一旦停止を無視した男性が衝突事故で無くなったことですよと。そして、こう僕に言ってくれたのです。

「運転手さん!あなたもおなじ事になってほしくないんですよ。悲しい思いさせたくないじゃないですか」

そう言うと、後部座席に乗っていた子供の姿をチラッと見ました。

「はい・・・。ごめんなさい」思わず、こぼれました。

女性警官に運転免許書を見せるように言われ、カバンから取り出し渡しました。前の違反の時もそうでしたが、警察は免許書を見ながら紙に記録し、違反切符を切るのです。しかし、その女性警官は免許書を見て、ここら辺に住んでることを確認、僕にこう言いました。

「気を付けてくださいね。今回は厳重注意です」

といって免許書を返してくれたのです。僕は驚きました。思っていたことと違うからです。思わず

「ありがとうございます」

いろんな思いを込めて言いました。そして熱いものが胸にこみあげるのを感じました。

私は、その警官に命の尊さを教えてもらった気がしました。こんな気持ちは初めてです。もしかしたら、あそこで命を落としていたかもしれない。自分の命ばかりか子どもの命まで。そんな悲しい思いはしてほしくないという強く、優しい気持ちが伝わってきました。そして、その女性警官に感謝をしたのです。

それからというもの、僕は一旦停止は必ず車を停止させることになりました。感謝と共に。

人生での経験とはそれをバネにして成長するための教訓なの。だから、ほんとうにひどい出来事なんてないわ。

Nothing is really bad; all of life’s experiences are lessons from which to grow.

スザンヌ・サマーズ(米国の女優、作家 / 1946~)より引用

あなたのまわりの理不尽な人

世の中理不尽だと言われることがありますが、おそらくこういう人がいるからだと思う。人の事をとやかく言うくせに自分の事は棚に上げる人。人の不正を正していい気になっているが、自分には甘い人。細かいことを人に言うくせに、自分は大雑把な人。思い当たる筋があるのではないでしょうか?

以前の職場の話だが、理不尽な人が働いていました。大きな体の女性で歳は50歳後半くらい。長年働いているらしく、他のパートさんに指示を出している。テキパキ働いているが、それよりも身体が大きいので目立つ。しかも声も大きい。お客さんには愛想はいいが、奥に入るとムッとした顔になる。そして、料理を作り出す。そこまではいいが、食材が補充されていないだとか、釣銭がないとか騒ぎ出す。そのあげく、人に指示して食材を持ってこさせたり、人の財布に両替をしろと支持するのだ。自分は怒った顔になり何もしないのです。周りにいる他のパートさんは大変迷惑だ。料理ができてお客に持っていくのかと思えば、これも支持してもっていかせる。一仕事終えた彼女は、楽な厨房の奥に行き、料理の仕込みをする。この行動が彼女には当たり前になっている。

前にもこういうことがあった。その大きな身体の女性は、料理で使う食材の発注の仕事を任されていた。これを忘れると大変なことになる。食材が来ないうえに、料理もできない。したがって食事が提供できなくなり、お客様に迷惑をかけるばかりか、お店も営業できず大損失である。その発注をし忘れたのだ。これはさすがにヤバいと思い、私はその女性に聞きました。

「発注しましたか、食材が来てないんですけど」

「えーーー」

確認すると、ノートにも発注された形跡がない。発注していないじゃないっと詰め寄ると、彼女は平然としてこう答えた。

「え、わたしですか?私の後に来たパートさんが気づいたはずなのに、なんで誰も何もしないんですか?おかしいじゃないですか」

その大きな体で他のパートさんに聞いて回っていました。なんで気づかなかったのかということを。責任転嫁も甚だしい。あきれて僕はただ茫然とその姿を見ているだけだった。ある時、僕が発注の人を変えようと提案したが、誰にもやり方を教えようとしない意地の悪さ。発注の仕事は渡さないと、ぬり壁のように大きな体で立ちはだかる。まったく迷惑な人だ。

そして、時間超過はあたりまえといった考えで、勤務の終わりの時間になっても帰らない。こちらが気を使って帰るように勧めるが、「まだ発注してない」「まだ仕込みが終わっていない」といって、粘るのです。13時までのシフトのはずが、気が付けば16時まで働いている。いや、働いたふりをしているのだ。なんとも横暴すぎる。

これでは、時給ドロボウである。

しもか、この女性他人の事はとても気になるらしい。常に他人の出勤日を覚えており、私は週に3日だけど、あのパートさんは4日だといって騒いでいる。そして、その日はそのパートさんをイジメるのだ。この行動は日常茶飯事なので誰もとがめないが、イジメられている人はたまったもんじゃない。というか横暴なその人を誰も止められないのだ。朝来ると、自分のタイムカードを押すのと同時に他人のタイムカードをチェックするのが習慣らしい。

しかし、その大きな体の女性の行動は、結果的に良いことになる場合もある。

ある時、買ったであろう商品の袋が厨房においてあった。従業員が買ったものだろうと思って、誰も気にも留めませんでした。が、その大きな体の女性は違っていました。「これ、誰の?」と勝手に袋の中身を開け、商品を確認しだしました。それに気づいたアルバイトの男の子は急いで「ぼくのです」と言って商品を持ち去り、足早に帰っていきました。後に、大きな女性はレジに行き画面をじっと見て何やら調べていた。どうしたのかと尋ねたところ

「おかしいなぁ、さっきのあの子の買った商品の記録がないのよ」というのです。買った商品はすべてレジに記憶されており、その日の清算前であればいつでも見れることができるシステムだ。一緒になってレジの記録を確認にしたが、形跡がない。何度確認してもなかったものだから、そのアルバイトの男の子に連絡してみたら、商品を勝手に作って持って帰ったことが発覚。つまり、お店の食材を使い、勝手に調理して、ただで持ち帰っていたのだ。問いただすと、結構な頻度でやっていたらしい。

後日、その男の子はアルバイトを辞めることになりました。その大きな体の女性はお手柄となったのだ。彼女は上機嫌です。私が見つけたのと言わんばかりに「困ったもんねー」と繰り返し、他のパートさんに話しまわっていた。その顔は言葉とは裏腹にとてもうれしそうだ。まるで、ドラマの主人公が真犯人を見つけて、捕まえたかのようだ。

「困ったもんねー。こんな子が居たら私たちが迷惑じゃない。ドロボウは犯罪よ」とこぼす彼女に、

(ドロボウはどっちだ。この時給ドロボウ)

皆に代わって言いたい思いをこらえつつ、ふんふんとうなずいた。

普段の食事を何倍も美味しくする調味料とは

いつでもおいしい食事

みなさんよくコンビニいきますか?僕は毎日行きます。おそらく行ったことのない人はいないのではないかと思うくらい生活に密着しています。今僕たちが暮らす日本では、いつでも食事ができる場所や買えるお店があります。ありがたいことです。”近くて便利”という代名詞もさることながら”いつでもおいしく”になっているように思います。なぜなら味もまあまあ旨いのです。うちの子どもに、何が食べたいって聞くと「コンビニのチャーハン」って言うではありませんか。中華料理店ではなく、コンビニ?と思えまずが、それほどうまいのです。

旨い料理が味わえるのはコンビニだけではなく、24時間空いているレストランもあります。温かい料理で味もいけます。なんどきでもお腹が空けば、温かく食べれる食事があるんです。

しかし、もっとおいしく食べれる調味料があるのなら試してみたいと思いませんか?この調味料は特別なんです。何が特別かというと普段の食事を美味しくできて、お金もかからず、簡単な方法だからです。私はそれを試すことができました。

最高の調味料を試してみる

方法は、『プチ断食+運動』をすることです。その片方のどちらかか、その両方できることが良いです。「えっ、それだけ?」そう、それだけ。普段の食事が何倍も美味しく食べられるのです。実際に私は以下の方法で試してみました。

まずは、次の日が休日の方が良いと思い、仕事終わりの前日から開始しました。いつも夕食は18時30分ごろから食べるのですが、普段通りに食事を済ませます。そしてその日は8時間睡眠をとります。仕事が終わり、次の日休みですから、ゆっくり寝たいですものね。大体22時くらいに就寝しますので、翌朝は6時に起床。っと言いたいところですが、ゆっくりできるので7時まで布団でゴロゴロします。そろそろお腹が減ってきます。ここで水を2杯飲み空腹を紛らわします。水は空腹を感じたら飲むようにしていました。満腹感を味わいたい場合は水を炭酸水に変えてみたり、工夫をします。

次のミッションである運動ですが、朝するのが良いと思います。ヨガかジョギングをしようと思いました。そして僕はジョギングを選択。さっそくシューズを履いて出発。良く晴れた気持ちの良い朝だったので気分は良いです。小一時間ほど、ジョギングを楽しみます。その後シャワーを浴びて時計の針は10時を指しています。これで、断食開始から約16時間経過。もうお腹がすきすぎて力がありません。走っている最中はできるだけ、食事のことは考えないようにしました。考えそうになったら、少しスピードを上げて自分に負荷をかけました。そうして自分の体に集中したのです。

待ちに待った遅い朝食です。頭の中はご飯やパンでいっぱいです。温かいお味噌汁が飲みたかったので、近くの「すき屋」に行くことにしました。この「すき屋」はコスパよく朝食定食が食べられるのを知っていたからです。食べ物がもうすぐ食べられると考えると居てもたってもいられません。焦る気持ちを抑えながら運転してお店に到着。お店の外にある丼の写真しか目に入りません。店に入ると珍しく誰もいません。椅子に腰かけ、朝食メニュー「まぜのっけごはん」を注文。すぐに運ばれてきた。

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

お味噌汁のいい匂い。卵とオクラのさらには鰹節が乗せれるようになっていた。卵がキラキラ見える。その上に鰹節をかけると、なんと良い香り。そして醤油をかけて混ぜる。素晴らしく食欲をそそる色です。食欲がますますわいてくる。それを温かい白いご飯にかける。もう口の中は唾液でいっぱい。口の中に入るのを待って準備万端。お椀を口元に持っていき、いっきに口に入れてみた。

「・・・・・うまい」

口の中にご飯の量よりも唾液の量の方が多いのではないかと思うくらいご飯がみるみるなくなっていく。もっと味わいたい。身体がもっと欲している。そしてお味噌汁。揚げが浮かんでいる。ほんのり湯気が出ていました。そして、お味噌汁をすする。

「・・・・あれ、こんなに、こんなにうまかったけ?」

そらにもう一度、お味噌汁を口に入れてみた。恥ずかしげもなく音をだしてすすってしまった。口の中に味噌の味が広がり、鼻から抜けるダシの香りが何とも言えない。「うまい」心の中でこの言葉を連発。食事後、こんなにうまい朝食が食べれることに感謝しました。ご馳走様でした。

普段の食事が「感謝」にかわる

僕にとって忘れられない朝食となりました。通常どおりの生活で食べる食事と今回の『プチ断食+運動』の後に食べる食事はまったく違っていました。普段の食事を美味しくするコツは、お腹を空かせて食べることです。プチ断食は極端でしたが、お腹空いたときは、なんでも美味しく感じることができます。

現在生きている僕たちは、空腹が続くという特別な状況はあまり経験しないでしょう。しかし、意図的に空腹を作り出し、食べた食事は何倍も美味しく感じられるものです。しかも、これを経験して思ったことですが、普段の食事も大切に感謝しながら食べようって思いました。この世に生まれたことに感謝してもしきれない。そういう幸福感で、胸がいっぱいになることができた経験でした。僕は、毎週この方法を試してみるつもりです。こんなにおいしい食事ができるのならやりたいのです。

美味しい食事が毎日食べれることって、とっても素敵な事(^^♪

満足は、自然の与える富である。贅沢は、人間の与える貧困である。

ソクラテス(古代ギリシアの哲学者)の言葉より引用

「水」を「炭酸水」に変えた結果がすごすぎた

最近よく、ウオーターサーバーの広告を見ませんか。先日はチラシが家のポストに入っていました。このチラシを見たところ「水は健康に良い!」と書いてありました。

確かに知っている知識として、水がなければ生きていけないし、身体の水分の60%は水分でできているということぐらい。でも水が健康に良いかは分かりませんが、水が身体に必要なのは確かです。

厚生労働省では「健康のために水を飲もう」という推進活動をしています。その中では、次のように書かれています。

私たちは、普通に生活しているだけでも、1日に2.5Ⅼもの水分が失われています。ただし食事中の水分や体内で作られる水の量は1.3Ⅼのみ。意識して、こまめに水を飲まないと、結果1.2Ⅼの不足となってしまいます

つまり、何もしていなくても普通に生活しているだけでは水分不足に陥る可能性があるということです。暑い日に外で1日いると、水をかぶかぶ飲むので、水分摂取はかなりしています。でも、クーラーの効いた部屋にいたり、あまり体を動かさなければあまり水を飲まないことに気づきます。

その他、水がもたらす体への影響として

  • ・20%失うと死亡のおそれ
  • ・のどの渇きはすでに「脱水」の証拠
  • ・ビール10本で、11本分の水分を排出

身体の健康を守るためにも水分補給が必要です。でも単に水が必要だと理由で、水ばかり飲めませんよね。

そこでお勧めするのが炭酸水です。炭酸水の良いところは、水分補給はもちろんの事、炭酸水はお水と同じくらいの価格で買えます。そればかりか、ダイエット効果があるそうです。みなさんもコーラや炭酸飲料のジュースを飲んだ経験があると思いますが、炭酸でお腹が一時的に膨張しますよね。ダイエット中ですぐにお腹が空いてしまう人は、食事中の水やお茶を炭酸水に変えるだけで食事量を減らし、摂取カロリーを抑えられるかもしれません。なぜなら、炭酸水は満腹感を強く感じ、食べ過ぎ予防になるからです。

僕なんかは、食事が不定期の時間になってしまって夜中にお腹が減ったり、夜ごはん時、お腹があまり空いていないときは、炭酸水で済ませることがあります。以前は水を飲んでいましたが、水ばかりでは空腹感が満たせませんでした。そこで炭酸水に変えたところ、結構な量を補給することができました。1Lのペットボトルは飲み切ります。結構、満足感と爽快感があるんです。お腹がいっぱいになったように感じます。それが習慣化して、今では1Lの炭酸水をケース買いしています。常に寝室には炭酸水が枕元にあります。常温も結構飲みやすいですよ。身体のためにも常温の炭酸水がおすすめです。胃を冷やすと体に負担を与えますからね。

炭酸水だけでダイエットをしようとするような極端なことは避け、きちんとした栄養を摂りながら健康的なダイエットを心掛けてくださいね。

そのほか、炭酸水には、血行促進、便秘解消、食欲増進といった効果のほか、水を飲むことで老廃物の排出を促したりといった美肌効果も期待できます。また、炭酸水は、実は古くから欧州では医学療法として用いられていたというくらい、身体にとっていい効果があるようです。

ただし、飲みすぎには注意が必要です。大量の水分は体内のナトリウムをはじめとした各成分が希釈され、命の危険をもたらすほど血中濃度が低くなり、体内の電解質均衡が崩れます。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」といいます。ほどほどが大切ですね。

逆に塩分を取りすぎるのではという疑問がありますが、全く問題なさそうです。ちなみに、僕が飲んでいる炭酸水の表示をみると、100㎖あたり食塩相当量は0~0.04㎖と表示されていました。厚生労働省が推奨する、1日当たりの塩分摂取の目標量は男性8g(8000mg)未満、女性7g(7000mg)未満ですので、これにはあてはまりません。

もし、「水」を買っているのなら「炭酸水」に変えてみるのも良い効果があるかもしれません。今はどこのスーパーやコンビニでも炭酸水が売っています。自宅で作れる炭酸水もあるみたいですね。こんなに効果があるのならやってみる価値はあるかもしれません。

それで健康になればいいですよね。

最後に、「水」に関する事実です。2014年ノーベル賞受賞者でもあるフランスのリュック・ モンタニエ博士の 「水によるDNA情報の記憶」実験研究があります。良い言葉や文字を見せたり、音楽を聴かせると「水の結晶」は美しく変化するそうです。

「ありがとう」

私たちも、良い言葉や良い行いでこんなきれいな結晶ができるかも

これってとっても素敵な事(^^♪

これさえ知れば「仕事にやりがいを感じられる」

毎日の仕事で、ルーティン化をしていませんか?

僕は、その事に気づいたのが新人が言った一言でした。その男性の新人は今年4月に入社して、約半年がたとうとした時です。その新人に「仕事は慣れましたか?」っと尋ねたところ、こういいました。

「毎日、違う発見があります。楽しいです」って言うのです。その時僕はハッとしました。なぜなら、あまりにもルーティンの毎日で刺激がなく、仕事をこなすだけの日になっていたからです。

ということで、「なぜルーティンは刺激がないのか」というお話です。

これを読むと、本来の自分の仕事の本質を知ることができますよ。一言でいうと、普段の作業から脱却し、新鮮に仕事に取り組めるようになります。

僕は、以前、モスバーガーで正社員として働いていました。このハンバーガー屋ショップは、きっちりしたマニュアルがあります。フランチャイズチェーンですから、決められたとおりにやるのがベストとされていました。入店の仕方から退店まで、言葉遣いやお辞儀の仕方まで、ありとあらゆることです。入社してから、半年ぐらいはマニュアルを覚えること、作業を覚えることで必死でした。

今から考えると、なんで必死になってやったかはわかりませんが。しかし、半年を過ぎる頃から、身体が勝手に動き出すという経験をしました。マニュアル通りのことを毎日ルーティンしていたからでしょうね。

このようにルーティンによって考えなくても作業ができるようになりました。想定された課題をこなすことは一種の快感でした。でも、やがてすぐに飽きがやってきたのです。本来のモスバーガーでの仕事である人へのサービスを見失ったのです。本当は、サービス業という仕事は、作業ではなくクオリティーあふれるサービスのはずなのですが、すっかり忘れてしまいました。

とうとう僕はモスバーガーを辞めてしまったのです。

この事から、学んだことが3つあります。この学びからマニュアル化に潜む罠を知りました。そこに陥らない、ある事を学習しました。

①その道のプロになれるが、その世界だけ

②本来の自分の仕事とは何なのかを問う

③いつもの仕事に「感謝」してみる

ひとつひとつ詳しく説明します。

①その道のプロになれるが、その世界だけ

半年もすれば、ある程度上達する。形になるという言い方の方が正しいかもしれません。特に毎日同じことの繰り返しである仕事は「慣れ」てきます。今までできなかったことが、できるようになり、とても仕事が楽しくなります。技術や覚えることがあり、それができるようになることが楽しいのです。日に日に成長していることが自分でも感じることができます。しかし、1年、3年、5年という歳月は、仕事に刺激がなくなります。毎日のルーティンは頭で考えなくても身体が覚えてくれているので楽にできる反面、刺激がなくなってしまうのです。

ここまでくると、自分の仕事で培った技術をさらに磨くことに精をだします。ある者は「スピード」を求めたり、ある者は「完璧さ」に目的を集中させたり、またその両方だったりと、進む道があります。

このような経験をみなさんにもあるのでは?ルーティンは、やることが決まっているので楽です。いったん身体が覚えてしまうと自動化してしまいます。「スピード」、「完璧さ」を求めていると、やがて職人になれます。

しかし、はたして、職人になりたかったのでしょうか?

ーいいえ、違います。ー

また、この職を辞めて他の世界でこの技術が役立つかというと、それは違います。あくまでフランチャイズチェーンの中での効率化、管理化の徹底によりマニュアルになった技術ですので、ほかでは全く役に立たないのです。(残念)

考えてみると、このルーティンで培った技術では、将来の仕事を失ってしまいます。近い将来AIやロボットに仕事を奪われてしまいます。

つまり、ルーティンには未来がないのです。

②本来の自分の仕事とは何なのかを問う

頭を使わなくて良いのです。ルーティン化してしまった仕事は、もはや仕事ではなく、作業です。

効率できる作業でしたら、機械やロボットが得意です。

そこで、僕は本来の仕事の意味を考えたのです。原点に返ることにしました。

本当は、「人に喜んでもらいたい」「笑顔にしたい」という仕事をしたいんです。エンターテイナーのように、人が満足した顔をみたいんです。本来、そういう仕事がしたいんです。それを追求したいんだ。

実際、どんな仕事でもマニュアルがあります。新人教育はその訓練をさせられることでしょう。しかし、その作業は、何のためなのかを常に考えながらやらなければなりません。この何のためにを考えられる人か、そうでない人かでこの先、随分、成長が異なってきます。山に登るのも目的である頂上を見ながら登れば、いずれ目的地に着くでしょう。しかし、何のために山を登るのかを考えずに登れば、ただただ歩き続けるだけで終わってしまいます。

本来の仕事の目的やこの仕事は何のためなのかを常に考えてみましょう。

僕もこの方法を新しい職場で実際に行ってみました。やってみるとわかりますが、同じ仕事も新鮮に思えてきます。イキイキしてくるのです。僕の場合はお客様と接することができる仕事なので、「この人のために仕事して貢献したい」という目的がある。実際にお客さんに喜んでいただくと、とても嬉しくなったりします。この笑顔のために仕事をしているんだと思うようにしています。

③嫌な仕事でも「感謝」してみる

作業に追われると、ついつい目的を見失うことがあります。そして、この作業を他の部署に押し付けたり、面倒だなっと思うようなことがあります。その気持ちが出てきたらこう思いましょう。

「ありがとう。仕事があるおかげで、不安もなく毎日くらしていけます。」

すべてに感謝するのです。座ってパソコンが涼しいオフィスで仕事ができること。沢山の仕事が目の前に山積みでも仕事があること。この仕事ができることに感謝。おかげ様です。

この考え方をすると、ものすごく自分にプラスになります。自分の周りの人、周りの環境、その全てがあることに感謝できるようになります。そうすることで、イキイキ仕事ができるのです。

僕なんか人から「なんか良いことあった?」って聞かれました。たぶん、知らないうちに顔に笑顔があったのでしょうね。

簡単にできることがあります。

ルーティンに慣れてくると安心できます。頭を使わなくてよくなり、作業も楽にできるようになります。しかし、その作業には未来はありません。別に社員ではなくアルバイトが、人ではなくロボットがしてくれるでしょう。つまり職を失うことになります。

だからこそ、仕事の本来の目的を考えながら作業をしましょう。感謝をもって仕事をしましょう。そうすると、新しいアイデアや新しいサービスを考え付くかもしれません。お客様の声を聴き要望を覚えておけば、新しい提案もできるようになるかもしれません。これは人間ができる仕事です。

皆さんもぜひ、明日から実践してみてください。特に今の環境に感謝して仕事する事。嫌な仕事も楽々こなせることでしょう。

それってとっても素敵な事(^^♪

目的と方針がなければ、努力と勇気は十分ではない。

Efforts and courage are not enough without purpose and direction.

ジョン・F・ケネディ(米国の第35代大統領 / 1917~1963) より引用