たかが3円、されど3円の大切さ

今まであったものが無くなると急に不便を感じるのも事実だ。レジ袋もその一つ。2020年7月1日から一斉にスタートしたレジ袋有料化。お店ではマイバックの持参を促しプラスチックゴミを減らすのが目的で始まったのですが、そのレジ袋は何かとわが家では重宝していました。

家にあるゴミ箱にかぶせておくと、捨てるとき袋を取り出せばポイっと捨てれる。特に車のゴミ箱にかぶせば、すぐに取り出せ捨てれます。お弁当を買って車でお昼を済ませる僕は、お弁当の容器を捨てるのもレジ袋です。また、台所で出た生ごみを封印するにも役立ちます。特に生魚の身や骨を捨て、臭い臭いを遮断するのと水気を出さないために袋を二重にして使っていました。気づかなかったが、以前はどこの家庭にもあたりまえにあって、折りたたんで使っていたレジ袋は結構、実用的なものであった。

しかし、お店でもレジ袋は買えるが、今まで無料でもらっていたものをわざわざ買おうと思わない。なので、レジ袋はわが家庭から姿を消そうとしています。そのため、無くなって気づくことだが、レジ袋がないことに不便を感じるようになりました。買出しに出かけた際、何件もお店に寄ります。その時マイバックは一枚しか持参しておらず、二軒目の店で買い物をするとき、否応なくレジ袋を買わないといけなくなってしまうのです。

そんなときに起こった出来事があります。

買い物をはしごしていた僕は、晩御飯のお弁当を買うために、スーパーに立ち寄った。コンビニではなくスーパーに行くのは、多少値段が安いことと、夕方は値切り品があるためだ。その日は近くに駐車場がなく、すこし歩いて車を停めた。そして、お弁当、お茶、カップラーメン一つ、ツナ2缶、お味噌汁の素を買いました。レジに並びお会計をする際、店員さんは「レジ袋は購入しますか?」と聞かれて気づいたのです。マイバックは只今、他の品物を入れているため出張中。レジ近くの表示を見ると、”レジ袋3円・5円・7円”と小・中・大と金額がちがう。どうしようかと一瞬考えた。が、この買い物の量なら手で持てると判断。「いらないです」と答えてしまいました。いざ、買い物を済ませ、荷物を積み木のように縦に組み立て、両手で胸に抱えてました。バランスを保ちながら車の往来を避け、少し離れた駐車場まで行くのが必至でした。ここで問題発生。鍵を取り出すのに片手で荷物のバランスを保たなければなりません。僕は顔のあごを荷物の上で支えながらカギを取り出し車を開けることに成功。後部座席に荷物を置こうとした瞬間、バランスを崩した荷物を一挙に後部座席になだれ落ちました。そして、その一部が車から落ちてしまいました。それが、なんとお弁当だったのです。簡易的にテープで止められていた大切な夜御飯が無残にもアスファルト落ち、ご飯、おかずともども四方八方にばらけてしまったのです。「オーマイガー!!なんてこった」。時すでに遅し。

レジ袋もなかった僕は茫然とあたりを見渡し、仕方なくスーパーにもどりレジ袋を買うはめになったのです。レジ袋有料化に伴う生活の弊害だろうか。これほどレジ袋のありがたさを知った日はなかった。たかが3円のレジ袋をケチった自分のセコさを感じたのでした。

「物を大切にする」と100回言われるより、失ってわかる大切なもの

ヒサトウの言葉